【怖い伝承】箭比神社の赤鳥居(愛知県知多郡阿久比町)

【怖い伝承】箭比神社の赤鳥居(愛知県知多郡阿久比町)
yahijinja (22)
神社に向かい坂をまっすぐ登っていくと赤い鳥居が見えてくる。
しかし道は赤鳥居を迂回するように横をすり抜けていくのだ。





こんばんは、豊橋心霊散歩です。

(記事へのコメント返信が遅れており申し訳ありません><)


今回は・・愛知県知多郡、阿久比町

ある怖い言い伝えが残っている、

箭比神社(やひじんじゃ)さんに行ってきたので報告します。





■怖い言い伝えとは

「怖い」と言っても

阿久比町の観光協会のウェブサイトにも掲載されている内容のため、

あまりにもオカルトじみた内容ではありません。


ではどんな話か?


箭比神社は小高い山の中に、神社に続く細い参道が伸びているのですが、

その途中に赤鳥居があります。

この赤鳥居をくぐると、

「おこり」にかかると伝わっているのです。



ぬぬ??


「おこり」って何・・・?

と、思われる方に解説しますと、

瘧(おこり)は、熱病のことです。

詳しく説明すると、間欠的(起こったり止んだり)に発熱し、悪寒 (おかん) や震えを発する病気のことを言います。



この伝承は、起源がはっきりしないものの、郷土資料にも記載されています。


階段の途中に光友公が寄進したと言い伝えられている「赤鳥居」がある。
これをくぐると、おこりにかかるという言い伝えが残っている。

参考:阿久比町誌 資料編 3 (阿久比の祭礼)

尾張公寄進の赤鳥居があり、これをくぐると瘧(おこり)にかかるという俗信があった。
参考:阿久比町誌 資料編 1 (村絵図)




■赤鳥居をくぐる。

そんな話を聞いたら、赤鳥居をくぐりたくなってきます。

箭比神社さんは
阿久比町の矢高石根にあります。



知多半島の散策をする際に、近くを通るので寄りやすかったです。
Google地図だと分かり難いですが本殿から東向きに参道が伸びています。



ここから登りました。
(付近は住宅街で道が細い場所もあります。近隣の住民に迷惑をかけないよう注意です)



<散策記録>


PM 9:00

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到着。
今日も夜ですが少し早い時間です。


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この金属製の看板。。。
夜だと本当に読みにくくなるんですよね。
912年創建とあります。かなり古い神社です。
箭野八郎正良の勧請により菅原雅規公の御参詣のもとで創建された・・・とあり、
箭比神社の箭が箭野八郎正良からとっていることが想像できます。



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灯籠が灯ってます!
そしてこの参道の狭さがたまらない。。
わくわくしてきます。


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(明かりの点いている石灯篭って大好きです)


そして、階段を登ると・・・



すぐに赤鳥居が見つかりました!



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うおおお

聞いた話に違わぬ感じ!

鳥居をくぐる正面の道の横に、


鳥居を迂回する参道もあります!



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おこりにかかるって熱病のことらしいですが、

今まで毒石も触れたし、触ると熱病になる木にも触れてきたので、

今度こそは何か起きてほしい!のぞむところです!


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鳥居の前に来ました

どきどき



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くぐります!

失礼します!




・・・







何事もなく通過し、

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後ろを振り返る。

さぁ、これで後日が楽しみですね。


(とくに何事もなく元気が続いております)






■赤鳥居について調べてみましたが・・・



この赤鳥居、なぜ怖い言い伝えがあるのか調べてみましたが・・・

郷土資料を調べた限り判りませんでした。


判ったのは、

尾張藩2代藩主、徳川光友によって寄進されたということだけ。

Tokugawa Mitsutomo


どうやら、尾張藩にとって知多半島は重要な領地だったようで、

歴代藩主による巡行が盛んに行われていたそうです。

特に、2代目藩主の光友公は、自身の隠居料(領)とするため

知多半島にいた重要でない家臣たちは追い出してしまったそうで、

知多半島を尾張藩直轄の領地にしようとする意図が伺えます。

(参考文献:阿久比町誌 本文編)


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正確に言うと、赤鳥居だけではなく

現在の社殿についても、光友公が関わっています。




現在の社殿は慶応元年(1865年)の造営。

その後1408年、熊野権現を現在の地蔵山に勧請し守護神として祀っていましたが、

1694年、光友公により、現在の字石根に一町歩(約3000坪)ほどの替地を得て、社殿を修築しました。

参考:阿久比町誌 資料編 1 (村絵図)



先述したように神社ができたのは912年ですので、

光友公によって熊野権現が混じったのでしょうか?

御祭神はイザナギとイザナミですし。

ともかく、光友公にとって箭比神社は気に入った場所だったようです。

ただ、晩年は知多ではなく大曾根(名古屋)に隠居しているので

なにか心境の変化があったのかもしれないですね。




赤鳥居を通らない理由、

有り得そうなことを想像するなら

「ここは、光友公が通る鳥居だから、私たちは通らないようにしましょう」

と村人の間で取り決めがされたとかでしょうか?


歴史資料を見るに光友公は、

武芸が達者で、まつりごとにも強く、非常に信心深い人物。

という完璧に近い人物で、あまり人から恨まれたり、「おこり」を起こす原因になったりというのは考えられないのです。




赤鳥居を何回もくぐった私はなんと愚かしい_:(´ཀ`」 ∠):_





綺麗な場所なので、ぜひ一度参拝してみてはいかがでしょうか?

それでは、今回の記事はこのあたりで終わります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 
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2 Comments

梅酒

いつも楽しく拝読しております。

私も豊橋で生まれ育った者ですが、地元の神社に似たような造りの鳥居があります。

身内に不幸のあった人が鳥居をくぐらずに神社へ行くためだ、と聞いた記憶があります。

阿久比町とはだいぶ異なりますね笑

2024/03/31 (Sun) 22:16

shinreisanpo

Re: タイトルなし

梅酒 様

コメントありがとうございます!
豊橋でもそういう鳥居があるんですね!
これは全国でも見られる話なんですが、身内に不幸があった場合など、穢れが身についている状態では神社に行かないようにする風習は広くあったりします。
梅酒様が言う鳥居をくぐららなければ神社に行けるというのは新鮮ですね!!

2024/03/31 (Sun) 23:56
shinreisanpo
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