【愛知県】 村積山の毒石 【岡崎市】

愛知県岡崎市 村積山の毒石
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触ると病にかかるとされる『毒石』が眠る村積山に登ってきました。
きっと誰も触ろうとしないはずなので私が触ってみることにしました。

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こんばんは、豊橋心霊散歩です。

今回は愛知県岡崎市の奥山田町にそびえる標高258mの小さめの山です。
山の中は自然公園となっており、山頂にある村積神社奥宮に向かうハイキングコースが伸びています。

この山の山頂には『毒石』、またの名を殺生石と呼ばれる石が祀られているのですが、殺生石と言うとどこかで耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
この殺生石というものは実は、全国にいくつか眠っていると思います。

そもそも殺生石とは何か。





 殺生石 

SekienSessho-seki

殺生石は九尾の狐が亡くなったときに、その体が殺生石に変わったものと伝えられています。
元々は毒石と呼ばれていて、毒気を周囲に放ち、近づく生き物は命を奪われます。
南北朝時代、その力を鎮めようとしたところ、石は砕け、どこかへ飛んで行ったそうです。

砕けた石のうち、飛び散らず、その場に残ったものが、栃木県の那須町に。
飛び散った石は、
岡山県の真庭(美作国高田)
新潟県の上越(越後国高田)
広島県の安芸高田(安芸国高田)
大分県の豊後高田(豊後国高田)
にあるとされています。(なぜ高田という地名に集中しているのかはよくわかりません)

また、
飛騨に散った破片が牛蒡種(ごぼうだね:憑き物の1つ)に、
四国に飛来したものが犬神になり、
上野国(現・群馬県)に飛来したものがオサキ(尾裂き狐)
になったといわれています(Wikipedeia!)

これはあくまで一般的な情報の部分で、
おそらく全国を探すと毒石(殺生石)と呼ばれるものはもっとあるでしょう。
そのうち全てが本物の霊石だとは限りません。
もしも本物であれば、触ったりするとマズイ祟りを受けることでしょうね。





村積山の毒石


愛知県岡崎市の村積山


この山にも毒石と呼ばれた石の伝説が残っており、
その石が今も祀られています。

言い伝えを簡単に説明すると以下のような感じになります。


村人が狩りをするため村積山に入った。
山頂付近まで来たとき、突然キジが落ちてきた。
キジは大きな石の横に堕ちて死んでいるようだった。

次の日、また村人が山に来ると、
今度は大きな石の横で野ウサギが死んでいる。
この石に何か関係があるのかと思って、石に触れてみた。
その途端に全身が痺れ、地面に倒れてしまった。
村人は仲間に運ばれてふもとまで降りてきたが、苦しみ続けた。
そのとき、訪れていた旅の僧に相談してみたところ、
それは那須で飛び散った殺生石の一部に触れたせいかもしれない。と言い、
石にお祈りをしたところ、村人の体はすっかり良くなり元気になった。

山頂にある石は毒石である。
この石には今後は触れてはならない。とし、石の柵で囲う様になった。




と、こんな感じでしょうか。

私はこの情報を知ったときから行きたくて行きたくて仕方なかったのです。
だって伝説が実体として現存してるんですもの。
それならば、

触るしかないでしょう。

本物だろうか調べるよりも、触れば済む話です。
祟りを受けたらその時はその時ですよね。

こんな私の狙いを感づいた人たちから何度か行くのを阻止されていたのですが、
タイミングが良さそうな時に、隙を見て出発しました。
確か明け方の3時くらいに豊橋を出発したと思います。





村積山 散策

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山頂まで道路が伸びていますが、車で山頂まで行くことは出来ません。
「村積山 奥山田池 駐車場」という池の横にある駐車場を目指し、そこに車を停め、歩いて山頂を目指します。


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時刻は8月の朝5時、外は少しずつ明るくなってきてしまいました。
本当は真っ暗な中登ってもよかったのですが、初めて登る山だったので安全を見て、夜明け前にしたのです。


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とは言え、カメラの補正で明るく見えるだけで
実際はまだまだかなり暗いです。木々は光を遮っており、東の空にはまだ太陽は登ってきておりません。
いわゆる「かはたれ時」ですね、彼は誰なのか分からない薄暗い時間帯です。


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かなり勾配のきつい上り坂が待っていました。
シンプルにきつい上り坂です。
運動不足だとちょっと大変かもしれません。
少し空があかるくなってきましたね。


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分かれ道です。
道なりに真っ直ぐ進む道
神社に向かって最短距離を行く道
右手前に伸びる道
ゆっくり登りたいので右手前に伸びる道を行く事にしました。


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ちなみに、神社に向かう道は、こんな感じです。
険しく勾配がきつい道になっていて、途中から荒れた石段になります。


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ひたすら登る・・・登る・・・
距離的にはそれほどない。
それにちゃんと舗装されています。


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しばらくすると、
村積神社450mと書かれた看板が。


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このゲートの向こう側に進むのかな?


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相変わらず勾配がきつい


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でも見晴らしは良いです。
今は夜明け前
少しだけ朝焼けしてますね

その後も登り続けまして、
駐車場から歩くこと24分
村積神社奥宮に到着しました。





村積神社
拝殿
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石段と鳥居
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本殿
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神社の創建は推古天皇(592~628)の時代…、古墳~飛鳥時代くらいですね、かなり古い。
毒石が砕けたのが1385年ですので、毒石がここに祀られるよりもかなり昔から神社があるようです。

神社の御祭神は、
山の神、武神として知られる大山祇命(おおやまつみのみこと)
富士山の浅間神社の御祭神で有名な木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)
神様の首魁である大巳貴命(おおあなむちのかみ)

神社の周りに由緒などの記載がなかったため、後からネットで調べてみました。
本殿も摂社も、鉄製の柵で囲われていて近づくことができなかったので。。
茅葺(かやぶき)の屋根で保護のため囲っているんでしょうか。


そして、お目当ての毒石ですが。。


神社の傍にありました!





 毒石 


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拝殿の横に回るとすぐに見つかりました!

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こちらが、どうやら村積山の毒石です。

石の柵に囲われており、その中に石灯籠が2つ、注連縄(しめなわ)が張られた岩が2つ鎮座しています。

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右手側の岩は小さい・・・
注連縄の紙垂(しで)が岩に張り付いてしまっています。
(数か月後に見に行くと張り付いた紙垂は綺麗になってました!)

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左手側の岩は大きいです。
斜めに石英っぽい白い鉱物の線が入っているのが特徴です。
毒石と呼ばれる石が2つある。。
それに、那須にある毒石とは少し岩の成分が違っているように見えました。

とにかく、本物かどうか確認するなら触ってみるのが早い。

手を合わせ、
触らせもらえるようにお願いし・・・


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ぺたぺたぺた・・・

右の岩も左の岩も

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ぺたぺたぺたぺた・・・


とりあえず、痺れて動けなくなることは無さそう。

毒石と呼ばれているくらいだから御参りする人も少ないだろうと、べたべた触ってきました。



・・・

おっと日が昇ってきました


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そろそろ帰るか・・・







その後、

毒のある食べ物をわざと食べてみたりしたのですが、元気でした。

やはり、毒石は言い伝えだったのか?

そう思っていました。








後日談


「ねぇ?知らない子が来てるんだけど」


自称霊感なしの霊感がめっぽう高い女友達から連絡が来ました。


「なんかね、うちにキツネさんがいるの」


ほぉ。。


「散歩さんどっか行った?あたし心あたりがないんだけど?」


あ、はい、ツイッターに画像をあげてるんですけど、毒石っていうものに触ってきました。

毒石はもともと狐だったという話もあります・・・。


「それだ!!それだよ!!」

「なんかね、この子はね、今までどこかの山の上にいたの、そうしたら、向こうから男がやってくるのが見えて、こっちに近づいてきたの。でね!その子はその男を通して私を見つけて飛んできたって言ってる!」



おお、すごーい。


「それって散歩さんだよね!」


あ、はい。すいません。(内心ガッツポーズ)



「もうどうすんのよー」


お話をしてやってください・・・(笑)



「もー」



という、こんな感じで毒石として祀られていたと思われる本体に接触に成功したわけです。
ちなみに、女友達さんは毒石のことなど知りませんでした。


それから色々とあって、

今はこの狐ちゃんは鑑定師さんの傍にいるようです。



この狐ちゃんの正体はなんなのか。
毒石は本物だったのか。

鑑定師さん&女友達から狐ちゃんの言葉を聞いていますので、
書き記しておきましょう。






狐の女性の言葉

私ははるか昔に別の国からこの日本に来ました。出身は同じ肌の色を持つ隣国です。
日本では土地の名士の妻となりましたが、それが仇となり、妬まれ、疎まれて、土地を追い出されてしまいました。
子どもはいたような気がするのですが、いまはおぼろにしか思い出せません。ただ、追い出されたあとも遠くに行かずに近辺をさまよっていた記憶からすると、子ども会いたさに離れられなかった気がするのです。

追い出された土地は、川がいくつも分岐するような複雑な地形でした。
その川の侵食でできた洞で惨めな生活をしていた私には、それでも一筋の救いがありました。通ってくれる夫ができたのです。
でもある年、いつになく川の氾濫が多く、周辺の集落の人間たちが殺伐とし始めたとき、私の夫はいなくなってしまいました。私との逢瀬がばれて居づらくなったのだとも、また殺されたのだとも噂で聞きました。

そこから私が村積山で封印されるようになった事情は、すでに覚えていません。
ただ、私は『氾濫を抑えるための守護神』と崇められる一方で、とても寂しい思いをしてきました。私は神になどなりたくなかった。人として幸せになりたかった。
私の体は土の中で溶け、村積山の山頂にあった大岩の中に染み込みました。それが、いつのころかの大雨で大岩が転がり落ち、中腹にとどまるに至ったのです。

いま村積神社のわきにある毒石と呼ばれる石は、私の溶け込んだ石ではありません。あれが祀られるようになったきっかけは、私とは別の理由です。私はそれを知りません。
私の神格は、いま村積山全体に広がっています。神としての私にはもう不満はありません。
ただ、不幸だったころの人の意識が頭をもたげるたびに、それを封じようとする力に抑え込まれます。それが毒石の役目なのです。

人としての私は、もう昇華したいのです。
そうして、次の生を謳歌して生きていきたいのです。







以上です。



神社の創建が600年前後、毒石の話が生まれたのが1385年以降ですので、話の時代がいつだったのかは正確にはわかりませんがかなり複雑な事情があったようです。
そして、毒石として祀られている石と、この村積山から連れてきた狐(女性)さんの直接の関係は、やはり少し違う様子ですね。ただ狐の姿で現れたこの女性は、もともと人の姿だったのですが、毒石として人に恐れられ、そして崇められるうちに、毒石としての本来の正体、つまり狐に自然と姿が変わっていったらしいです。更に追加情報で、この女性が本当に眠っている石は、円柱形の短い石で、村積山の北側に眠っているということでしたが、ハイキングコースを歩いただけでは見つけることはできませんでした。

また、こんなことも最初は云っていました。


今まで、話を聞いてくれる人が来るのをずっと待っていました。
この人なら、という人は今まで2回ほどやってきたのですが、
1人は私のことを分かってくれず、もう1人は私を利用しようとしました。



そこに私がのこのこ現れたという感じですね(笑)
なんの打算もなく、祟りに触れようとやってきたので。
先ほども言ったように今はブログの鑑定師さんのもとについていて、青い雷光を放ちながらも、のんびり気ままに過ごす日々のようです。そうやって考えると山にいるより連れてくることが正解だったのかな、と思ってみたりします。

あくまでこの女性の霊は、村積山の本体みたくなっている存在なので、根っこでは山に繋がっていると思います。連れてきても山の神格は落ちないでしょう。先日、鑑定師さんと村積山に登ってきました。そのときは、ちょっと喜んでいるみたいでした。


永いあいだ、人に人生を振り回されてしまったこの女性の霊が、せめて今は楽しく過ごせるといいなと思います。


記事を書いている今は大晦日。
もしかしたら狐の女性も、村積山に一時的に帰ってるかもしれません。
大祓からの初詣があるでしょうからね。
そんなことを考えながら記事を書いております。
たくさん参拝客が訪れるといいなぁ。


2018年最後の記事はこれで以上です。
お読みいただきありがとうございます。
それでは皆様
良いお年を。



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